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ゴールドラッシュとリーバイス、ジーンズの歴史はここから始まった。

 

ゴールドラッシュとリーバイス誕生

501 ジーンズと言えば真先に頭に浮かぶのがこの数字。それ程世の中に浸透して
いる1849年のゴールドラッシュにリーバイ・ストラウスがカリフォルニアに
向かわなければジーンズがこれほどまでに大きな影響を及ぼす存在にはならか
ったかもしれない。


  リーバイ・ストラウス
1829年2月26日-1902年9月26日没(73歳)
彼はユダヤ系のドイツ人である。
18歳の時に母と二人の姉とともにニューヨークに移住する。


  ジェーム ズ・マーシャルがシェラ・ネバダ山中で金を発見したことが、瞬く
間に世界中に広がり多くの人達が炭鉱者としてカリフォルニアに移住してき
た。これが世にいうカリフォルニア・ゴールドラッシュのことである。
そして、ストラウスもその一人だった。その後、彼はカリフォルニアに向か
う。ストラウスは真っ直ぐ西部を目指したのではなく、ニューヨークからケ
ンタッキーまで行き、そこから南回りでメキシコ湾、カリブ海、大西洋を越
え、南アメリカ大陸の先である ホーン岬を回って、今度は太平洋を北上し、
カリフォルニアに着いたのだ。 当時はパナマ運河がなかったためこういう事
になった。また、陸路を使わず船で行ったのは、その文格安だった為である。
目的地につくまで1年間の旅 路となる。当時の西部の玄関先であるサンフラ
ンシスコにやっと到着したス トラウスは、キャンバス地しか残されていな
かった。船に乗る時に渡された 洋服生地すべて船中で売り払ったためである。
唯一これだけが手元に残っていたのである。このキャンバス地を幌馬車過テ
ント用に売ってしまおう、そう思っていた。ストラウスの前に現れた一人の
男が言った言葉が、彼の人生 を、そして現在に至るまで世界のファッション
をを変えた。

「丈夫な、金堀に耐えるズボンを売ってくれないか」  

男が言った言葉が、彼の人生 を、そして現在に至るまで世界のファッション
ストラウスは一瞬洋服地をすべて売ってしまったことを後悔したが、残さ
れたキャンバス地でズボンを作ることを思い付いた。これが切っ掛けとなり
輝かしいジーンズの歴史の幕開けとなったのである。 金鉱を探し、それを目
指して掘るという作業は大変な重労働で、それを行う には作業衣として、丈
夫で簡単に破れない生地を使ったものが必要だった。 彼はキャンバス地とい
う無類に丈夫な生地を使って、何の変哲もないズボンを作ったのが、金掘り
の男たちに大いに評判になり、手持ちのキャンバス地は瞬く間に底をつい て
しまった。ストラウスは、東部の兄にキャンバス地を 大量に送ってもらうよ
うに連絡を取り、これを使って丈夫なズボンを作り続けた。終いには、カリ
フォルニアのサクラメントに支店を設けるまでに発展するのである。キャン
バス地を使ったズボンは1890年代まで作り続けられた、その後はデニム 素
材がこれに代わる。今日我々が知っているジーンズと同じ素材である。 そし
て、これを藍で染める事を思い立つ。 デニム地に藍染めという、ブルー・
ジーンズの原型がこれで完成する。 リーバイ・ストラウスは、時代という運
と元々兼ね備えていた才覚により、今日のジーンズの原型を作り出していくの
だが、そのきっかけは1849年の ゴールド・ラッシュにあった。功成り名遂げ
たリーバイ・ストラウスは一生独身を通した。数々の役職、名誉職をこなしな
がら1902年9月26日73歳でこの世を去る。彼は特にカリフォ ルニア大学バー
クレー校に対して大きな資金援助を与え、これは今日よりも リーバイ・ストラ
ウス・スカラーシップとして残っている。彼は特にカリフォ ルニア大学バーク
レー校に対して大きな資金援助を与え、これは今日よりも リーバイ・ストラウス
スカラーシップとして残っている。

  西部によって成功のきっかけを掴んだ彼は、 一生、西部を愛し続けたのである。
 




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LEVI'S VINTAGE 1937モデル

 

 


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