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妖怪に転生しても人間を捨てきれなかった戸愚呂・弟

不器用に最後まで生きた漢

 

この人はとても魅力的な部分が多い。
戸愚呂弟がまだ人間だった時彼の仲間や弟子たちが潰煉(かいれん)という妖怪に殺された。
その時戸愚呂弟は自分の無力さを痛感する。
そして、その三ヵ月後、彼は暗黒武術会決勝戦で弟子たちを殺した潰煉を殺し優勝する。
戸愚呂は優勝の望みとして妖怪に転生することを願う。
それは、弟子と仲間を救えなかったことへの贖罪から来た願いであった。
自分を妖怪化することで、自分を責め続けた。彼は純粋な力にこだわって
活きてきた。
これが、戸愚呂(弟)が妖怪となった理由である。
50年前自分の仲間や弟子が目の前で殺され、その時全く何も出来なかったことがきっかけとなりその後暗黒武術会に出場し、妖怪に転生する。
この人にとっての強さとは何だったのだろうか。
単純にあこがれの要素が大きかったのかもしれない。強い男になる。それを体現したい為に転生したようにも思う。仲間の死がなくてもいずれそうしたと思う。


償い方を間違えた戸愚呂・弟
人間を辞めることを選択した彼は、同時に逃げることを選択したと思う。
幻海が戸愚呂に対して、「あんたが歳をとればあたしも歳をとる。それでいいじゃないか」と応えている。が、それは彼には届かなかった。
人間は必ず老いる。どんなに強い人間もいずれは老い、死んでいく。死ぬまでずっと強くあるというのは到底無理な話だ。その代わり、人は常に変化をすることも出来る。何かを得れば何かを捨て、また何かを捨てたときに何かを得る。そういう法則みたいなものがある。戸愚呂の場合はそれを拒否をした。結果、幻海と戸愚呂弟仲違いしてしまう。それでも戸愚呂が好きな幻海。
多分戸愚呂弟はあのとき上手くケリを付けることができなかったのかもしれない。

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人間は何か起きたとき、何かを変えたいとき外にそれを求める人がいる。
例えば、自分探しのたびに例えると分かり易いかもしれない。
・外に答えを求めている
・どこかに行けば今の状況が変わると思っている
・誰かが変えてくれる
・自分の天職があってそれを見つけたい
・今の人生が辛いから、とりあえず現実逃避したい
大体こんなようなことを考えている人が多いのではないかと思う。


結局外には何もないと後になってから気がつく事が多い。その前に自分自身になぜ?と問う必要がある。
Q、なぜ、旅に行きたいのだろう?
Q、そこで得たいものは何だろう?
Q、どんな成長をしたいだろう?
Q、どんなテーマの旅をしたいだろう?
Q、その場所でないといけない理由は何だろう?

 

戸愚呂弟の場合も外に何かを求めてしまった。要するに現実逃避をして答えを見付けることが出来なかった。彼は自分自身と向き合うのが下手なのかもしれない。人間を捨て妖怪に転生したが、人間を捨てきれなかった。彼はどこかで死に場所を求めながら生きていたのだろう。それが浦飯幽助との出会いにつながっていく。浦飯が幻海の弟子だと分かったときどう思ったのだろうか。やっと自分を殺してくれる逸材が見つかったとでも思ったのかもしれない。内心嬉しくてたまらなかったのかもな。

 

玄海との死闘これは本当に必要だったのか―。
浦飯に霊光波動拳を渡し、力の差は歴然としている両者に、この死合の意味は何だったのか。
ある人は儀式だと言っていた。
お互いの主張をぶつけ合うための死闘。
やはり武闘家は所詮拳でしか語る事ができない不器用な人種なのだということを表しているのではないだろうか

あしたのジョーでも、矢吹丈がたがいの血と汗をたっぷりすいこんだグローブで徹底的にぶちのめしあった仲ってもんは百万語のべたついた友情ごっこにまさる男と男の魂の語らいとなって、俺の体に何かをきざみこんでくれた―と、カーロス戦後語っている。


50年間も曲げないで来てしまったから後戻りができない。特に戸愚呂の方は。
仲間の死を受け入れる事が出来ず、結局大会優勝後、人間であることを捨て、妖怪へ転生する。

多分本人も本当にこれが最善の解決策なのかと思っていたのかもしれない。
潰煉の強さを目の当たりにし、その潰煉を自分の手で殺し、それでも満足ができなかった。

着地点を見付けることが出来なかった。人間としての脆さ、未熟さがよく出ている。
幽遊白書の中でもトップ3に入るくらい好きなキャラ。特に人間臭いところがなお良い。

 

余談:戸愚呂の限界突破
戸愚呂100%と100%中の100%は何度くらい使ったことがあるのだろうか。
100%は体力の消耗が激しい為の本人も好んで付かいたとは思っていなかったはずだ。

もしかしたら、浦飯の時、彼自身も初めて使ったフルパワーの状態だったのではないだろうか。

幽助のフルパワー霊丸(120%)を真正面からガードしたことで最後を向かえてしまうが、もしかすると霊丸を受け止めたりしなくても、あの状況には遅かれ早かれなっていたのではないかと思う。

これはあくまで憶測なのだが、戸愚呂は50年間あまり修行らしい修行をしていなかったのではないだろうか? 50年前に妖怪に転生したことで、老いることのない強さを手に入れてしまった為にそれまでの格闘家として努力をするという価値観が崩壊したのではないかと思う。

もしなくても強い(B級上位)人間界ではそれなりに上に入る。もちろん仙水のような天才もいるが。本人もフルパワーの力を出したことなんかなかったし、体力の消費が激しいくらいでそこまで大きな反動があるなんて思ってもいなかったのだろう。


なんにしても悪役の中では非常に魅力的なキャラクターに入る。

 

 

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