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カウンターカルチャーとジーンズ

カウンターカルチャー



労働着としてのジーンズからファッションとしてのジーンズへ。
元々は鉱山労働者が丈夫で破れにくい服が欲しいという要望から出来たもの
であった。それの初めがLEVISである。長らくジーンズ=労働着というイ
メージが定着していたが、やはりここで忘れてはいけないのが、ジェーム
ズ・ディーンの存在ではないだろうか。彼が映画の中でジーンズを履き
ジーンズが反抗の象徴として描かれているかのように見える。事実当時ジー
ンズを履くことが多くの学校で禁止された。その後彼が亡くなったあと、カ
ウンターカルチャーが起こる。ヒッピーと呼ばれるような人たちが既存の権
威に対する反発をし始める。既存の体制を壊したのはヒッピーだけではない。
ジェームス・ディーン、彼もそれまでのハリウッド映画から真っ向反対の内
容の作品を描いた。


 

引用 THE JEANS 平成15年通巻9号より

彼こそこのティーン・エイジャーの要件を満たした最初のハリウッド・ス
ターだったからである。それまでの青春スターのように大人の言いなりにな
る若者ではなく、自分自身を突き詰めて考え、人生とはなにかを模索するう
ちに、ただ大人の言いなりにはならないぞという姿勢を初めて明確に示した
からである。これは、当時の同じ思いの青少年に強烈な支持を受け、ディー
ンはスターになり、この称号を得るのである。
そこにはジーンズが存在した。

 




その後70年代に入りカウンターカルチャーの文化が終演を迎えていくが、
彼らが自由と反抗の象徴として好んで使用していたジーンズは、市民権を得
ていく。ジーンズというアイテムはその後もその時代に合わせて残っていく。
ジーンズがファッションとして変化していった切っ掛けは、カウンターカル
チャーを切っ掛けにイギリスに知られたことが大きいのではないかと思う。
ビートルズローリングストーンズが好んでそれらを履き、ヨーロッパで
ファッションとして徐々に認知されていく。
そのごデザイナーズジーンズや、女性向けのデニムなど様々なタイプのジー
ンズが世に送り出される。
元々は労働着であったが、素材がタフで、使用年数によって変化していくと
いう面白みがある。それによりジーンズが反抗の象徴というイメージから、
一般大衆のファッションとして定着するようになる。

日本でのジーンズの歴史。



45年の終戦アメリカ軍が大量に放出するところから始まる。
初めにそれを売ったのはアメ横
その後栄光商事(現在EIKO)が日本ではじめての輸入販売を開始。
国内でのブランドとしてはBIG JOHNが初めということになっている。その
まえにCANTONというジーンズがあった。諸問題により1968年に姿を消す。
2008年に老舗繊維商社の豊島から復活。
日本で初めてジーンズを履いたのは白洲次郎ということになっているが、永
六輔氏がこれを否定している。また、日本で初めてダメージジーンズを履い
たのも永六輔氏である。
日本のジーンズの殆どは岡山の倉敷で生産されている。